2012年09月 の記事一覧

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『原発事故・子ども避難者支援法を活かす』

官僚へ丸投げになってしまいそうな支援法ですが、
しっかり学んでおきまっせ。

そして今 ほんとうに福島で起こっていることも理解してもらえると思います。
少し長いですがお時間のある時にご覧ください。


20120926 (1/2)第6回 原発事故・子ども被災者支援... 投稿者 Beaucoup11


20120926 (2/2)第6回 原発事故・子ども被災者支援... 投稿者 Beaucoup11


原発事故・子ども避難者支援法 市民会議

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『何も知らない彼ら』

彼らは小出裕章さんを知らない。
彼らは早川由紀夫さんを知らない。
彼らは広瀬隆さんを知らない。
彼らは広河隆一さんを知らない。
彼らは菅谷昭さんを知らない。
岩上安身さんを知らない。
上杉隆さんを知らない。
そして山下俊一も知らなければ田中俊一すら知らない。
原発事故前に自分の町が0.0幾つだったのかも何ベクレルだったのかも知らなければ、今、どれくらいの汚染なのかも知らない。
福島の子どもたちの43%から"のう胞"が見つかっていることも知らない。チェルノブイリでは5年後に0.5%だったことも知らない。
我が家の土壌が2万4千ベクレル超の意味も知らない。
福島(東日本)の汚染は去年のことだと思っている。
たった一枚の汚染地図も見たこともない。
そして、したり顔で言う「放射能なんて言ってたら何処にも住めない」と。「国の言うことや新聞やテレビニュースを信じなくて何を信じるっていうんだ」と。
挙句の果てに「君は赤なのか」と。

気にしていたら住めないのでは無い。
汚染の全てを気にして生活しているから何とか住んでいられるのだ。
何を信じるのかでは無い。
チェルノブイリの事実と自宅周辺のシーベルトとベクレルを見ているのだ。
赤でも白でも黄色でも右でも左でも無い。
個だ。

「いつでも来い」そんな言葉をかけてくれていた彼らを信頼して移住を考えてきたのだが、
彼らの本心は平穏な自分たちの暮らしにさざ波を立てるな! ということだったのだ。
背中から撃たれたような気持ちだった。
いや本当は自分が甘ちゃんだったのだ。
何も知らない彼らを自分が解っていなかったのだ。
そして受け入れられていると思ってしまっていたのだ。
悲しいというより恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。

自主避難している多くの方々と知り合い話しを聞かせてもらってきた。
母子避難の方、家族で避難の方、皆さん本当に並々ならない苦労をしていらっしゃる。
家庭内でバラバラになったり、親族間でのイジメ、離婚や絶縁。。。
「放射能でその人の本心が見えました」と話してくれた方が居ました。
本当に、そうですね。
被曝の体への影響は見つけにくいのに心へのダメージはハッキリしたものなんですよね。
良い物件と仕事も見つけてたんですけどね。。
全部白紙ですわ(苦笑)

さまざまな汚染地図の外に出たいだけ。
それだけなのにな。。


これから何処へ行こう。
これから何をしよう。
ひとまず撃たれた手当かな。

『昨日、中通りで』

去年、福島では「100ミリシーベルト」問題やら「20ミリシーベルト」問題。
「危険」と「安全」
「避難」と「留まる」
さんざんもめた。(かたちを変えて今でも続いているけど)
どっち側かに別れて喧々諤々する者。
傍観する者。

いま身近で「100ミリ」問題も「20ミリ」問題も大丈夫だと吹聴していた人々を見ない気がする。
いま身近で「安全」だと旗を振っていた人々を見ない気がする。
もうどっちも福島にはいないような気がする。
避難や移住を決めた人たちは勿論どこか別の土地で新しく活きている。
いまここに居る人の多くは「安全」の旗のもと残った人と、傍観していた人だけのような気がする。
その旗を振っていた人々を最近身近で見かけない気がする。
信じた人々だけが置き去りにされながら高線量や低線量の外部被曝を毎日受けながら、ここにいる。
そんな印象だ。


昨日、中通りの某所のスーパーで弁当を買って近くの広場で食べた。
「あっそうだ」と思い線量計を見る 0.5μSv
今のチェルノブイリで入っちゃいけないゾーンと呼ばれる地域の入り口だ。

「安全」の旗を振ってた人たちからすれば、うまくいったってことなんだろうな。
本当にあの「安全」な旗を振っていた人達は何処へ行っちゃったんだろう。。


1139.jpg

「安全・大丈夫」の旗を振っていた(いる)人々はこの通学路のような場所を歩く事を自分の子どもに推奨しているのだろうか? (写真は今月のJNN特集番組より)

市民レベルで「危険」「安全」の旗を振っていた人が本当に居なくなって、
残されて被曝し続けるだけの子どもたち。
何かが起こってどっちかの旗を振ってた誰かのせいにしたくても振ってた本人はいない。
居たとしたって君の子どもに何かが起こっていても「関係ない」で終わりさ。

あぁ 去年あれだけ必死になって「安全」の旗を振っていた人たちは、どこへ行ったんだろう。

『放射線低いと思いたい気持ちはわかる,』

昨日、ある人が「放射能少なくなりましたよね?」
嫌な奴のオレは「放射線の数値が低くなったってこと?」と聞き返すw
福島県内では天気予報のついでのように環境放射線測定値という名称で数値が発表されています。
「会津若松市0.10μSv/h」って感じの断言。
これがずっと続いて慣らされた人が多いのでしょう。
そりゃ0.2の場所が0.19になり0.18になり....って下がって来てたら!! ヤッターって思うよね。
今年の4月頃から最小と最大(例:0.10〜3.5μSv)とテレビでは流すようになりましたが、
それでも何処が最小で何処が最大なのか なんて殆ど言わないです。
それでも「低くなった」と安心したい。
そりゃ安心したいよね。
でも放射能と放射線の違いくらい知っとこうよ、現場にいるんだからさ。
そいでもってちゃんと自宅周辺の数値を把握しておこーね。
できれば放射線の数値から地面の汚れを理解しておこーね。
なんなら今からでも遅くないから調べて把握して行動してもいーんじゃね。

以下、福島県内のリアル・モニタリング数値を貼っときます(この記事書いてる数十分前のですが)
※文部科学省モニタリングポスト数値より。




graph_mext_720420.png
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graph_mext_720305.png
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graph_mext_7402.png
graph_mext_7208.png
graph_mext_7205.png




福島県内ではホットスポットじゃなくこんな数値の場所があります。
(会津の一部は除く)
勿論、全部の地域じゃないけれど、数値が低く出ると噂されているモニタリングポストの数値がこれ。
そこで寝食しているわけじゃなくても心良くはないな。
低くなったって安心したい気持ちはわかるけど。
わかるけど。


『新潟市避難者交流所 - ふりっぷはうす』

写真

新潟市にある避難者交流所「ふりっぷはうす」へおじゃまさせてもらいました。
「ふりっぷはうす」の由来は、F=Family,Friend,Fukushima LIP=Live in Peace (平穏な生活を送る)
去年10月に新潟県内のNPO団体が立ち上げ運営をしている場所です。
運営をされているEさんとネットで繋がる機会があり、今回もいつものように図々しくお邪魔しました。
思いついたら動いてる子どもみたいな自分を反省しています。。少しね(苦笑)

Eさんをはじめ直接の運営をされているのは福島から避難している皆さんで、
毎日、20名から30名の方が利用されているとのこと。
昨年のオープン時には一日に100名の方が訪れた事もあったそうです。
「子どもたちを遊ばせて、福島の新聞を読んでお茶をして雑談してもらう場なんです」とEさん。
そして新潟県へ避難している人の誰もが「誰も気にしないで福島の言葉で喋って良い場所」なのですね。
Eさんとも話しましたが「福島弁なんてものは無いけどそれぞれの地域の福島の言葉があってそれは隣県であっても全く違うから普段の生活では使わない(使えない)けど、それを喋れる場所があるという心強さはない」です。
地元の言葉(暮らしの言葉)を話せる場所や人が他所へ行った時にあるかどうかは大きいです。
「よぐよぐやだぐぅ なっちまー」 って言える場所は大切ですよ。

この日の利用者は少ないとのお話でしたが子どもたちが10人ほど元気に遊んでいました♬
みんな殆どがお母さんとの母子避難。
元気に遊ぶ姿に癒されましたが、同時に鼻の奥がツーンとなってしまいました。
或る日突然通っていた幼稚園や保育所の友たちと別れて知らない人ばかりの土地へ来て、
お父さんがいない暮らしが始まりどれだけ不安で寂しかったことか。。
最近、涙腺ゆるくて あぶないあぶない。

ある方は新潟へ来てから出産をされて一度も福島へ帰っていないそうで、
先日、お祖父ちゃんが亡くなり とうとう顔を見せられなかったそうです。。
詳細をお聞きする事はしなかったのですが、福島から避難をする時に皆さん本当に大変な苦労をされていて、家族や親戚や仲間との間に埋めがたい深い溝ができてしまっている方も多いようでした。。
そして様々な理由で福島へ帰る人が増えているとのこと。
どうしたって心が折れてしまう場面があります。
子どものために頑張ってきているのに家族や仲間から理解されないままの自主避難の日々。
誰も福島が嫌いで福島を離れている人などいないのに。。

運営のEさん「新潟県には本当に感謝しています。泉田知事さんからも何でも言ってください、と言われて感謝しきれません。これからお世話になった分を何かのかたちで新潟に恩返しできたらと思っています」と人懐っこい笑顔で話してくれたのがとても印象的でした。

現実には辛い出来事も多く大変ですが、とにかく福島の人が他県で福島の人を繋いで支えている現場は温かく頼もしい場所でした。
あまりに居心地がよく30分くらいと思っていたのに気づけば2時間も!!
Eさん、スタッフの皆さん ごめんなさいm(_ _)m
また おじゃまします。

ふりっぷはうす



続けていく 繋がっていく 
できることは何でもやってくよ。

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『煙突・煙・臭い』

040210194237.jpg

近所のコンビニへ行く裏道。
鼻につく臭い。
近くに24時間稼働している木材加工の工場がある。
風がそっちから吹いている。
大通りへ出ると煙突が見える。
真っ白な煙をもくもくと上げていた。
大抵の場合、この辺りの風向きは逆で臭わない。
この日は珍しく市街地へ風が吹いていた。
市街地に住む者たちはたまに臭うだけだから被害だとは思っていない。
傍に住む人たちがいくら被害を被っていると口にしても殆どが無関心だ。
洗濯物に臭いが付いて困っていると友人が言っていた。
オレも「大変だね」と言いながら自分の所には滅多に臭ってこないからと無関心だった。
人間ってのは(大げさだが)そんなものだ。
放射能もこんな風に臭ったり見えたりしたらよかったのにな、と思う。
けど同時に放射能が見えたり臭ったりしても「自分の所は大丈夫」と無関心な人が多かったかもしれないな、とも思う。
今の福島、日本を見ていると、そんな気持ちになる。
見えない臭わないからガイガーやシンチやらで空間線量を測ったり食品測定や土壌調査をして可視化しているのに
それでも「自分は大丈夫」と無関心を決めた人が今も圧倒的に多いんだから。。

窓開けて室内0.10μSvの空気吸いながらボーっと空を見てる。

『サボテンでも蓮でもシロクマでもないが』

自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、
後ろめたく思う必要はありませんよ。
サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中で咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、
誰がシロクマを責めますか

〜梨木香歩『西の魔女が死んだ』〜 より。

福島から避難する人。
避難しない人。
どっちでもない人。
そこが自分にとって住みやすいかどうかは自分で決めればいいだけ。
人の意見なんてあてにならない。
人の意見なんてどうでもいい。
やたらと自分の意見を押し付けて忠告したりする。
養ってもくれないくせして。
楽しませてもくれないくせして。
一緒に泣いてもくれないくせして。
サボテンでも蓮でもシロクマでもない ただの人間だけが事を難しくしている。
まったく、まったく厄介な生き物だよ、人間は。

『親呼んでこーーーーい!!!』

あちこちの放射線量を測って動画配信をされている方(グループかな)の郡山のムービー。



正直、目を伏せたくなる映像です。
演出的な部分は不愉快ですらあります。
けど、これが現実です。
自分も時々郡山へ行き公園で普通に遊んでいる子どもたちを見かけます。
公園など土面の放射線はどこも0.5〜1μSv以上あります。
このムービーは目を覆いたくなる日常です。

一時期、他人の子どもを叱るか叱らないかという事が話題になったことがありました。
若い世代の親たちの多くが「叱らない」「叱らないでほしい」という意見でした。
理由は「他人が口を出すのはおかしい」というものが印象的でした。
熟年世代は「悪いことをしていたら叱る」という意見が多かった。
理由は「それが大人の役目だ」というような観念的なものが多かった。
他人の子どもを叱ったり注意したりできるのは共同体(村や誰もが顔見知りの地域)が機能している場合で、共同体なんてものがほとんど存在しない今は「他人が口を出すのはおかしい」と答えた若い世代の親たちに少し同調するものの、自宅の駐車場で悪さをする近所の子どもを叱る自分がいたりする(苦笑)
だがそれは自分の(私の)敷地内で悪さをされるのが嫌だから叱ったり注意しているだけの話しで、
他人の子どもの怪我などを心配しているからではない。
上の熟年世代の「叱る・注意する」も自身に降りかかる事象についての返答で同じようなもんじゃないのかな?

自分は、他人の子どもが寝転がって遊んでいても「そこ放射線高いから離れな」と注意をしないし、
草を抜いて口にくわえても(子どもはよくやる)「危ないから捨てな」と叱りもしない。
それがどれだけ危険な事で数値を含めてよく知っていても、他人の事に他人が口出しするのは本当におかしなことだ、と思っているから遊ぶ子どもを横目に見ながら通り過ぎる。

親だけが子どもを叱ったり注意したりできるのだ。
親だけが子どもを守れるのだ。
まだ間に合うよ。
まだ間に合う。
誰も他人に注意も忠告もしちゃくれんよ。


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